社会の変化と避妊法

避妊法がなかった時代

近代以前の社会で避妊を切望していたのは、売春婦であったと思われます。しかし、有効な避妊の方法はありませんでした。そこで考えられたのが、堕胎薬でした。日本でも、非常に優れた堕胎薬が開発されていたようです。しかし、いかに優れた堕胎薬であっても、女性の体に大きな負担となったことは想像に難くありません。

近代以前の社会では、子どもの数は共同体(むら)と自然が決めていました。近代社会では、むらに代わって家が子どもの数を決めるようになりました。家が子どもの数を決めるようになると、人口は急激に増加します。現在、開発途上国で起きている人口爆発も共同体の崩壊と関係しています。家に子どもがゾロゾロいる風景は、近代社会が生み出したものです。

家族計画としての避妊

子どもが多いために生活が苦しい。ここから、避妊の必要が考えられはじめました。日本の産児制限運動の提唱者に山本宣治(参照)という人がいます。彼は無産政党から国会議員になった人です。「貧乏人の子沢山」を解消するために避妊に注目したのです。

日本の避妊運動の提唱者だった山本は、右翼に暗殺されてしまいます。しかし、「貧乏人の子沢山」解消のための避妊という発想は、引き継がれていきます。

ここで避妊というのは、一定数の子どもを産んだ後にもう子どもを作らないということを意味していました。まさに家族計画だったわけです。家族計画としての避妊では、厳密な成功率は求められませんでした。3人の子持ち家族が4人目はいらないと考えたとします。4人目の子どもを産まないための避妊は、絶対的な成功率でなくてもよかったのです。コンドームは10年間使い続けると1度程度は失敗してしまいます。それで、3人の子どもが4人になっても、それほど大きな支障はなかったのです。

ピルが受け入れられた社会的背景

山本宣次が産児調節運動にとりくんでいたころ、まさに山本と同じような動機で産児制限運動に取り組んでいた女性がアメリカにいました。マーガレット.サンガーです。彼女は山本とも親交があり、日本にやってきています。そしてやがてピルの生みの親になっていきます。

サンガーには貧困からの救済と共に、女性の自立という思想がありました。サンガーも弾圧されたことがありますが、やがてアメリカ社会に受け入れられていきます。

欧米社会でコンドームによる産児制限が、そしてピルによる避妊が受け入れられていったのはなぜでしょう。そこには、大きくふたつの理由があります。

一つは女性の社会進出です。20世紀の世界では、仕事と家庭を両立させる女性が生まれてきました。彼女たちにとって、アバウトな避妊は満足できるものではありませんでした。より完全な避妊が求められたのです。

二つに晩婚化があります。家族計画の避妊というものは、子どもを産んだ後の避妊です。ところが、晩婚化にともなって子どもを産む前の避妊の需要が生まれてきました。現在の日本でも、女性はその生殖年齢の内の前半20年近くを未婚で過ごすことが珍しくありません。この間の避妊が問題となってきました。しかも、そこで求められる避妊はより完璧な避妊でした。

社会の変化についていけない日本の避妊

欧米社会でピルが普及する社会的条件は、十分にあったということができます。ひるがえって、日本ではどうでしょう。多少の時差はあったとしても、日本の社会にも同じような変化がありました。しかし、日本では社会の変化に避妊法がついていかなかったのです。

十代で結婚していた時代、婚前の避妊は必要なかったでしょう。30代で結婚するようになった現在もなお、家族計画の発想に固執している日本は奇妙な国といえるかもしれません。なにしろ、助産婦さんが出産後の避妊指導を丁寧にしてくれる国なのですから。

前時代の化石を懸命に守っている間に、多くの女性が望まない妊娠を経験し、そして中絶の悲しみを受けている現状。皆さんは、どう思われますか?

 
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